もうすぐ夏休み 古賀研究室


水戸・偕楽園にて
by kogaj
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父の誕生日


c0018010_10551675.jpg本日は、今は亡き父の誕生日である。2・26事件としての方が有名だろうが、古賀家では、2008年に鬼籍に入った父の生まれた日としての意味合いが大きい。私の携帯の待ち受け画面の写真は、なくなる少し前の父である。電話を掛けるたびに父を思い出す。

父は大正10年生まれ。生きていれば91歳。とても楽しい人だった。仕事師というより趣味人といった方がよかろう。医者の両親の下に生まれ、二男だったこともあって自由に育てられたようだ。長男は、医科への道のあったのだが、傀儡政権、当時の満州国の官僚をめざし東亜同文書院に入学したが、結核の病に侵されて2年後になくなった。

父は当時の花形の無線技士になり、公務員の道を歩んだ。電気製品の工作が好きで当時珍しかったテレビを自分で作ったいた。相当の腕だったのだろう。そういう意味では、民間企業に入った方が能力を生かせたのではないかと考えている。

無線士は、今でいえばソフトハウスみたいな最も先端の仕事だろう。だが、エレクトロニクスの世界はドッグイヤ、流行り廃れが激しい。無線はいつの間にか、電話、現在はネットに以降している。

カメラが好きで写真をよく撮影していた。私の姉妹の写真が数多く残っている。小言をいうこともなく、叱られたのは、小学校5年の時が最後だ。優しい人だった。私もDNAを引き継いでいるので本来、優しいはずなのだが、実際はそうでもないようだ。

子供らには厳しい人と見られている。不徳の致す限りである。今からでも遅くない。優しくあらなければ、反省反省。20代の頃は戦争で、ジャワ島に派遣された。40代から当時の軍隊の集まりの幹事役を引き受けており、毎年全国各地で開かれる大会に参加していた。

カレーが好物だったなあ。私のカレーは嫌いではない。なくなる前にいろいろ話をしたことを覚えている。今日一日父のことを考えていよう。
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by kogaj | 2012-02-26 08:15 | 日記
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