今週、卒業式 古賀研究室


水戸・偕楽園にて
by kogaj
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アントワネットのいた牢屋

パリから帰国して大分経った。今回の訪仏で記憶に鮮明に残ったのが、フランス革命でギロチンに送られた悲劇の王妃といわれるマリーアントワネットが最後に滞在した監獄である、革命裁判所の別名のあるノートルダム寺院の近くのコンセルジェである。現在は、最高裁判所とか。
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ルーブル美術館側からシテ島への橋を渡ったところにそれはあった。ノートルダム寺院の入場券と一緒というので入ってみた。そしたらアントワネットが最後にいた専用の部屋があるというの本当に驚いた。さっそく、行ってみた。石造りの建物の中をぐるぐる歩くと、確かにたどり着いた。
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 広さは、10数畳程度か。明かり取りの窓は小さくかなり暗い。警護する兵士2人の向こう側に、王妃の人形が椅子に座っていた。隣にはベッドがあり、壁には小汚いタペストリーがかかっていた。

始終監視されていたのである。何日滞在したのかは分からないが、ここでの人民裁判で死刑判決を受けて、その後、コンコルド広場に運ばれたわけである。部屋には、親族から送られたというアントワネットがギロチンにかけられる前に、飲んだ水を入れた水差しがあった。
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部屋は薄暗く、粗末なベッドが置いてあった。小さな礼拝堂と思えるような隣の部屋の階下には、裁判などの様子が描かれた絵画がいくつか展示されていた。そこから中庭に出れる出口があった。普段はそこで日光浴ができたようだ。最後の日は、そこにコンコルド広場まで輸送する馬車が待っていたのである。

翌日コンコルド広場に行った。オベリスクが経つ広場の敷き石の上に、当時の国王がギロチンにかけられた場所との金属のプレートがはめ込まれていた。右方向にシャンゼリゼ、凱旋門が見えた。
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by kogaj | 2016-05-29 22:16 | 国際
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