
アイルランド出身のピーター・サザーランドが死去した。71歳だった。今から約20年前の1990年代中盤は、スイスのジュネーブでウルグアイランド(新多角的貿易交渉)が開かれていた。知的所有権や日本のコメ市場の開放などを巡って各国の利害が対立し、交渉は、なかなかまとまらなかった。
経済部からロンドン支局へ配属された私は、頻繁にジュネーブへ派遣され、交渉の取材にかかわった。この交渉のトップに就いたのがサザーランドで、100か国以上の利害を調整し、最終的な合意に持ち込んだのはサザーランドだった。欧州では、弱小国のアイルランドだったのにもかかわらず、国際機関のトップに就き、交渉が合意に漕ぎつけたのは、サザーランドのずば抜けた交渉力の手腕なしには考えられない。
記者会見の対応もとてもよく、例えば、100人以上が出席している会場で、私の同僚の記者の当時ジュネーブ特派員の会田が手を挙げると、「お前が質問がないから変だと思っていたが、やっと手をあげてくれたな」などと軽口をたたきながら、応じていた。記者にもとても愛されていた。
世界貿易機関(WTO)のトップだった時に、単独会見にも応じてくれ、ゆっくりとした分かり易い英語で対応してくれたことを思い出す。帰り際に、オーバーを羽織ると、たまたま同じ柄で、サザーランドから「おおお・・同じオーバーじゃない。いい趣味しているね。どこで買った」などと声を掛けてくれた。
特派員生活を終えた帰国後に、ゴールドマン・サックスの東京支社へ取材に出かけたら、たまたま、サザーランドがゴールドマンのパートナーに転身した時で、東京の担当者にWTOでの話を離すと驚いていた。国連の事務総長特別補佐などにもついて世界的に活躍されいた。
人間的にも能力的にもずば抜けた人だった。ご冥福をお祈りしたい。